きんちゃんの日本百名山日本三百名山/近畿百名山→愛宕山

愛宕山
日  時 2010年10月23日(土)
天  候 晴れ
山  名 愛宕山(あたごさん)924m
山  域 京都西山
メンバー 27人


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コースタイム
岸和田7:20 = 近畿自動車道 = 門真JCT =第二京阪 =上鳥羽 = 9:20 清滝 9:40 − 10:50 五合目休憩所 10:50 − 11:06 七合目休憩所 11:06 − 11:32 黒門 11:32 − 11:45 愛宕山休憩所(愛宕神社) 13:30 − 14:00 月輪寺 14:07 − 15:00 空也の滝分岐 15:10 − 16:00 清滝16:15 =上鳥羽 = 第二京阪 = 門真JCT = 近畿自動車道 = 18:30 岸和田
 職場の厚生会主催の愛宕山ハイキングに参加しました。
 厚生会ハイキングは、今まで曽爾高原にずっと行っていたのですが、今年は行き先を変えて愛宕山になりました。参加者は27人。
 愛宕山は、山頂に防火、鎮火の神である愛宕神社があり、神社への参拝者や登山者が多く登られています。多くの人に登られている愛宕山ですが、清滝から愛宕山までの標高差が840bもあることはあまり知られていないようです。標高差840bとなると、結構登り応えがあるので、それなりの体力も必要となります。ちなみに、私の地元の山である和泉葛城山の標高差は590b(牛滝山〜和泉葛城山)ですから、愛宕山の3分の2程度です。

清滝トンネルの手前から出発
 バスは、岸和田から2時間かかり清滝トンネルの手前にある駐車場に到着しました。清滝トンネルを過ぎてしまうと、バスは方向転換する場所がないので、ここでバスを降ります。清滝まで約1キロを歩くのですが、清滝トンネルは暗くて狭いので車が通ると怖かったです。

表参道を行く
 表参道は、お助け水までは舗装されていますが、お助け水を過ぎると写真のような道が愛宕神社の境内まで続きます。

20丁目一文字屋跡
 京都愛宕研究会の看板には、一文字屋跡についてこう書かれていました。
〜現在の京都バス「清滝駅」の前で営業されている「一文字屋」が営業されていた茶屋の跡です。 愛宕ケーブルが開通してからは、ケーブル「愛宕駅」の駅舎の2階で飲食業を営まれていました。〜

 この看板を見て、愛宕ケーブルってなんだ?と疑問に思い、ネットで調べてみると、愛宕山には、その昔(昭和4〜19年)ケーブルカーが走っていたことがわかりました。私は愛宕ケーブルのことを今まで知りませんでした。ショックです。
 愛宕ケーブルは、当時、下の清滝川駅から、上の愛宕駅まで2.3キロを約11分で到着したそうです。当時としては日本一の長さと技術水準を誇ったケーブルのようでした。また、当時、愛宕山々頂付近にスキー場もあり、ケーブル愛宕駅にはロッジホテルがあったとあります。
 この軌道跡を歩く物好きな人も結構いるようで、途中6カ所のトンネルがあり、下から3番目と5番目のトンネルが内部崩落で通れないなどの情報があちこちのサイトで掲載されています。また、橋脚部やトンネルの風化が進み、今後ますます危険になる可能性があり、あくまでも登山道では無いので、自己責任でこの道を歩く覚悟が必要です。

愛宕神社表参道の丁石
 「愛宕神社表参道の丁石」
 愛宕神社までは、鳥居本の一の鳥居を基点として五十丁(約5.5km)と言われ、表参道沿いには板碑型と地蔵型の二種類の丁石(町石)が建立されています。(現存確認できているのは、五十基中板碑型が三十二基、地蔵型が四十基です。〜京都愛宕研究会の看板より引用

茶屋跡
 「茶屋跡」
 愛宕参詣道の起点一の鳥居から愛宕神社までの五十町の参道沿いには、多くの茶屋が設けられていました。この場所は、ちょうど真ん中の二十五町目にあたり、「なかや」という茶屋兼宿屋がありました。
 店の女たちは、米粉を練って蒸したお菓子「しんこ」で参拝者を迎えたという。
 茶屋は「なかや」だけではなく、一町毎にあったと言われ、明治初めには十九軒あった。現在参道各所に残る石垣はその名残りである。〜京都愛宕研究会の看板より引用

7合目の手前
 このあたりは傾斜が緩やかで、気持ちのよいところです。前を行く二人は、厚生会ハイキングの参加者です。ほんとうにたくさんの人が登っています。こんなに多くの人に登られている山は、他には金剛山と六甲山があげられますが、その土地によって親しまれている山はどこにでもあるのだなあと思いました。

7合目の休憩所
 小さい子どもも、犬も愛宕山に登ります。

7合目休憩所から京都市街を望む
 7合目休憩所からは、京都市街の展望が望めます。表参道から展望が望めるのは、唯一ここだけです。

樒小屋
 「ハナ売場」
 水尾の女性が毎日ここまで上がってきて樒(しきみ)を売り、お参りをした人々は、火災を除く神符としてお土産にしたという。
 近年まで、水尾の女性は、榛(はん)の木で染めた三幅の前垂れをつけ、樒を背負って水尾から愛宕神社まで上り、神前に供えてから販売したという。
 毎日樒の葉を一枚ずつ、オクドさん(かまど)にくべると火事にならないと言われ、かまどがなくなった今でも多くの人が買い求める姿を見ることができる。〜京都愛宕研究会の看板より引用

黒門
 「黒門」
 黒門は、京口惣門とも呼ばれた、白雲寺の京都側の惣門。ここから寺の境内に入る。中には福寿院、威徳院、長床坊、大善院、教学院、宝蔵院という六つの宿坊が建ち並んでいた。
 愛宕山は、江戸時代を通じて神宮寺の白雲寺(福寿院、威徳院、長床坊、大善院、教学院、宝蔵院)が実権を握る神仏習合の山であった。しかし、慶応四年(1868年)神仏分離令によって白雲寺は破却。黒門は、境内各所に残る白雲寺の名残りの一つである。ちなみに京口に対して丹波口の門もあったが、今は廃材が残るのみである。〜京都愛宕研究会の看板より引用  

愛宕神社が近づくと参道は広くなる
 清滝から2時間歩き詰めで愛宕神社の境内に入ります。表参道は緩やかに広くなり、ゴールが近づいてきたのが感じ取れます。

石段手前の休憩所
 最後の石段手前の休憩所で全員揃うのを待ちます。待っている間に、愛宕神社に参拝するものや、ハムを焼いて一杯飲むものなど、各自のスタイルで愛宕山を楽しんでいます。
 ハムは、最初、量が多くて買い過ぎたかなと思いましたが、さすがに27人もいればなんなく食べてしまいました。ハムは、かつらぎ山岳会で用意させていただいたのですが、みなさん、美味しいといって喜んでいただき、企画してよかったと思いました。(えらそうなことを言っていますが、準備したのはEK氏とFK氏で、私はなにもしていません。) 

休憩所から愛宕神社まで石段が続く
 愛宕神社への最後の石段です。なかなかよい雰囲気です。休憩所から神社までは5分くらいでしょうか。

石段を登る途中からの眺め
 石段を上から見た風景です。

月輪寺
 月輪寺(つきのわでら)は、鎌倉山と号する天台宗の寺で、法然上人二十五霊場の第十八番目の札所です。
 天応元年(781)慶俊僧都の開基で、寺名の由来は地中より掘り出された宝鏡の背面に刻まれた「人天満月輪」の銘によっている。
 写真に写っている大きな石楠花は天然記念物です。
 月輪寺には、新聞の切抜きが貼られていました。愛宕山に登りながら、間伐材や石を使って登山道の整備や補修を続けて8年目になる男性のことや、この月輪寺が存亡の危機に立っていること、愛宕山に昼過ぎや夕方から登り始める人が絶えず、日没後に「遭難状態」になって山中の寺社に駆け込む人がいるという記事が書かれていました。
 月輪寺存亡の危機は、数年前に裏山の落石で庫裏の一部が壊れ、修理するのに巨額の費用がいるので助けてほしいという内容でした。

清滝トンネル
 清滝トンネルは、愛宕山鉄道の遺構です。嵐山駅から清滝駅までの鉄道と、清滝川駅から愛宕駅までのケーブルカーを愛宕山鉄道が運営していたのです。
 現在、鉄道線路跡は清滝街道として府道になっています。遺構は殆ど現存していませんが「清滝トンネル」は現存している愛宕鉄道遺構です。

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