きんちゃんの日本百名山→Profile


  名  前  金田 隆行(かなた たかゆき)
  住  所  大阪府岸和田市
  生年月日  1955.3.30
  職  業  地方公務員
日本百名山について
 1973年8月、乗鞍岳に登ったのが最初の日本百名山です(記録が残っていないのでここには掲載していません)。その頃は、まだ日本百名山というものがあることを知らず、1976年3月号の「山と渓谷」で、日本百名山の特集が掲載されたのを見て、初めて深田久弥の日本百名山を知りました。
 その後、一時は百名山完登を目指したときもありましたが、途中でとても無理とあきらめて、それからは日本百名山よりも、近畿百山を主に登っていました。
 1989年の夏、9年ぶりにアルプスに登り、黒部五郎岳から笠ヶ岳まで縦走しました。このときの山行は、私の山登りにとって大きな転機となりました。あらためて山登りの楽しさ、素晴らしさを再確認し、「よし、百名山全部登ってやるぞ!」と目標を打ち立てました。3年後の1993年、はじめての南アルプスを計画した時、アプローチの不便さもあって、マイカー登山を試みました。実際マイカー登山をやってみて、その効率のよさ、便利さに驚き、その後はとても電車では山に行けなくなりました。元来、車の運転が好きということもあり、翌年の1994年からは、私の登山はマイカー登山が主流となったのです。百名山の登頂数も、この時期から飛躍的に伸びました。

 2002年5月、いよいよ北海道に上陸です。さすがにマイカーでいくには遠く、飛行機とレンタカーを組み合わせることにしました。
 2009年8月、念願の飯豊連峰縦走を果たし、99座に達しました。残るは利尻岳です。はるかかなたに見えていた百名山完登が、もう目の前に。

日本三百名山について
 百名山の完登が目前に迫り、いよいよ次の目標である三百名山が視野に入ってきました。三百名山の登頂数は、現在158座。やっと半分を過ぎたばかりです。三百という数字はとてつもなく大きいですが、それゆえやりがいもあります。三百名山の中には、登山道がない山や活火山のため登れない山があります。
 登山道のない山は、佐武流山(さぶりゅうやま)、毛勝山(けかちやま)、笈ガ岳(おいずるがたけ)、猿ガ馬場山(さるがばんばやま)、野伏ガ岳(のぶせがたけ)の5座です。厳冬期は豪雪に、無雪期は猛烈なヤブに行く手を阻まれるため、残雪期に登る方が多いようです。
 活火山のため登れない山は、桜島です。焼山は、2006年12月に入山規制が解除されました。したがって、現在、火山活動中の桜島はとても登れませんので、三百名山は桜島を除いた299座を目標に登ることになります。
 日本三百名山を登ることは、日本百名山よりはかなり難しいと思います。体力のあるうちに、それらの山を先に登り、出来たら三百名山を達成したいですね。


近畿百名山について
 諭鶴羽山の山行記録に記してあるように、近畿百名山を再開しました。現在、98座に達しています。残る2座は、池木屋山と中八人山です。

線のこだわり
 南アルプスは、夜叉神峠から光岳まで。中央アルプスは、木曽駒ケ岳から越百山まで。北アルプスは、中ノ湯から親不知まで線でつながっています。将来は、日本海から太平洋まで線でつなぎたいと思っていますが、これはどうなるかわかりません。ほかに、トムラウシから富良野岳の縦走も魅力的です。大峰奥駆道も・・・。

3000m峰
 日本の3000m峰21座28峰は、1997年9月の立山・大汝山で完登しました。

山岳標高ベスト100
 山岳標高ベスト100は、いったいいくつ登っているのだろう・・・・と、暇なときに地図と確認しながら数えてみると、78座登っていました。山岳標高ベスト100にこだわりはありませんが、少し気になっています。
 
関西百名山
 現在、関西百名山は99座です。残る池木屋山は、近畿百名山とのダブル達成を考えています。

かつらぎ山岳会とは
 かつらぎ山岳会は、職場のクラブです。名前は、地元の山である和泉葛城山(いずみかつらぎさん)からとりました。山岳会といえばたいそうに聞こえますが、岩登りや沢登りはやらず、山歩きを愛する集団と思っていただけたらよいかと思います。2008年に発足30年を迎え、立山集中登山を行いました。2009年から、近くの山をゆっくりと時間をかけて楽しむグルメ登山に方針を変更しました。これが人気を得て、グルメ登山は盛況です。

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